

私は福岡生まれの福岡育ちだ。
ずっと福岡の風景を見てきたといっても差し支えないだろう。
ここ十年ほどで、福岡の街は大きく発展した。
昔は「田舎だな。」と思っていたが、最近はすっかり「都会」になったものだ。
発展し、進化していくことは喜ばしいことである。
人々の生活は便利になり、快適になっていく。
だがしかし、ポジティブにだけ捉えていいものか。
進化していく過程で失われていくものはあるし、今までになかった問題が出て来ることもある。
たとえば、自動車はアクセルだけでは成り立たない。
ブレーキ、つまり止まる機能もじゅうぶんに満たされていてこそ、はじめて安全に、快適に乗ることができるのだ。
『ヘルメット・オン・ザ・ビーチ』は、今、この場所で、改めて見つめなおさなければいけないであろうことを書いた。
今、この都市に生きていて、必要であろうことを書いた、とも言える。
芝居はライブであるからこそ、「今」を感じることが大切だ。
今を描くこと、それこそがライブである芝居に与えられた命題であるとも言えるのではないか。
2007.10.30
劇団HoleBrothers 幸田真洋
『ヘルメット・オン・ザ・ビーチ』はここ2年ほど使っていなかった構造を使用して書いた作品だ。
どういった構造かと言うと、主人公が日常から非日常の世界へ入っていき、そこで何かを得て(あるいは捨てて)再び日常へ変える、という構造である。演劇をはじめ、いわゆる「物語」にはよくある構造だ。
HoleBrothersの中心的作品の一つに『たまねぎのしん』という作品があるが(99年初演、01年、03年に改訂版上演)、今回の構造はこれと同じであるといえる。
そういう点では、原点回帰に近い作品と言っていいだろう。
ここ2年ほどは日常的な枠の中ですべて完結する物語を書いてきた。
時期的にそういうものが書きたかったこともあるし、『たまねぎのしん』的な構造から逃れたい思いがあったのもある。違った構造を探したかったのだ。
では、なぜここにきて同じ構造をとったのか?
僕は常に、人間の暗部を描きたいと思ってきた。
意識の部分を明とすると、無意識の部分が暗である。
人間は明だけで成立しているわけではなく、本人も気付いていない暗(無意識)の部分も含めて、人間たりえるのだ。真に人間を描くならば、暗部まで視野に入れなければ描いたとはいえない。だからこそ、暗部に着目し、描き出そうと作品を書いてきた。
日常→非日常はある意味、人間の明→暗への旅とも言える。
そう考えると、日常→非日常=明→暗への構造をとってきたのは妥当な線だ。
だがしかし、そうではない暗部の描き方もあるのではないかと考え、違った構造を探してきたのがここ2年間である。
そして2年を経て原点に帰った。
2年間で違った構造が見つからなかったわけではない。
2年間で得たものも含めての原点回帰である(だからこそ、先に原点回帰に「近い」と書いた)。
今、僕が描き出したいもの、切に伝えたいと思うものはこの構造が一番「伝わりやすい」と判断したからだし、今、必要なものは明確に明→暗を旅する、ということではないかと考えたからだ。
僕らは通常「明るい世界」を生きているが、世界はそれだけではない。「暗い世界」は必ず存在する。
ただ、「明るい世界」の光があまりにも強烈で、実は「暗い世界」が存在していることを現代人は忘れ去っているかのように僕は思うのだ。
だからこそ、明確に「明→暗」への旅を描く必要性を感じた。
そして『ヘルメット・オン・ザ・ビーチ』である。
この作品が、みなさまの深遠へと届くことを願っている。
2007.10.23
劇団HoleBrothers 幸田真洋
『ヘルメット・オン・ザ・ビーチ』は現代人の深層をえぐる作品である。
近代、我々は自我・そして自意識を手に入れた。
それはそれでめでたいことであるのだが、諸手を挙げて万歳というわけにはいかない。
何かを手に入れるということは、同時に問題も抱え込むのだ。
今・我々が手にしている(手に余っている)問題が『ヘルメット・オン・ザ・ビーチ』にはある。
これは、是非、多くの現代人に観てもらいたい作品だ。
なぜならば、問題を切実に感じ、考えることでしか、人は前に進めないのだから。
2007.10.30
劇団HoleBrothers 幸田真洋